大東流合気柔術は約900年の歴史の流れの中で、先人たちの厳しい血のにじむような研鑽を経て、他流では見られない、「気を合する合気の世界」に到達した武術である。
大東流合気柔術の資料の裏付けのある歴史的な沿革は不明であるが、当光道では武田惣角先生の口述通り清和源氏 新羅三郎義光公を開祖に戴き、 その後甲斐武田家から会津藩御留流を経て、甲斐武田家末孫である中興の祖 武田惣角先生へと伝わり明治30年代以降世に広まったものとしている。
武田先生は弟子その人に合った技を教授したとされ、体格の良い者、力の強い者には柔術技(主に逆手、関節技)を、小柄な人、非力な人には合気技を教えたと言われている。
またその頃は大東流一門としての横のつながりは無かったため師範ごとに技が異なり、現代でも各派とも特色のある技を伝承している。
中でも堀川幸道先生は小柄で体力もなかったが師に才能を愛され、特に合気の技(合する合気)を教え伝えられたのである。
光道総師範錦戸武夫先生は、35歳のとき縁あって堀川先生と出逢い師事、以来師より薫陶をうけ一般稽古のほか師弟一対一の厳しい個人指導をつけられ、「合する合気」をつかむことを得た。その後、九州福岡の地に大東流合気柔術光道を興し今なお後進の指導に情熱を注いでいる。